我が子にかまってもらえる今が幸せだと思え!!

子どもと関わる時間ってどのくらい?

え、みなさんどのくらい?

休日可能な限り遊んでる俺ってやりすぎ?

目次

休日は基本子どもと遊ぶ

俺は休日、基本我が子と遊ぶ。

何をして遊ぶかっていうと、

  • お人形遊び
  • ごっこあそび(お店屋さんごっこが多い)
  • ボードゲーム(っていってもすごろく)
  • なわとび
  • その他肩車とか体を使ったじゃれあい

うん、基本遊ぶ。

本当に!!マジで!!絶対に!これは今しないといけないの!!!
ってことがない限りはいらっしゃいませ状態。

あ、ちなみに我が子は小2と年長のお子です。

子どものために何かしてあげたい

なぜそこまでして遊ぶの?

うーーーーーむ。
なんだろ、子どものがっかりする顔を見たくないのかな。つまんないな、って顔。子どもってすげーさびしそうな顔するよね。

そりゃ仕事して稼いで、家に帰ったら家事とかもして子どものためにやることはやってんだけどさ。

子どもにとってはそんなこと知ったこっちゃねぇえって感じよね。遊んでくれてなんぼ、みたいな笑

遊んでくれない大人はただの大人。
(紅の●みたいだな笑)

それが一つの理由だと思う。

小さな頃の関わりが今後を決める

ただ他にも理由はある。

小さな頃の関わりはお金のように貯金されていくらしい。(どこかで聞いたことがある)

そしてその貯金は今後の関係に生かされていく、と聞いたことがあるからだ。

小さい頃の関わりが多ければ多いほど思春期になったときによい関係ができあがる、という考え方だ。

本当かどうかは知らねえ!w

それが全てではないだろうし、子どもとの関わりが少なくてもよい関係が築けている人ももちろんいるはず。

正しいか、正しくないかは置いといて、ただ少なくともその考えが俺を突き動かしているのは間違いない。

遊んでもらえるのは今のうちだけ

3つ目の理由としては、我が子が自分と遊んでくれるのは今のうちだけということだ。

はあ?遊んであげているのは親であるこっち側でしょ??

うーーーーーーーーん、まあそうなんだけど。

でもおそらく我が子が大きくなり、関わる頻度が少なくなってからこう思うはずなんだ。

  • 「なんかさびしい・・・」
  • 「小さい頃は『遊んで遊んで!』ってすがりついてきたのに」
  • 「遊ぶどころか会話もない・・・」

かぁなしっ!!!

すでに泣けてくるわ。後悔先に立たずってまさにこのことやね。でもね

本当にそうだと思う。

今は「父ちゃん遊んでよ~」「だっこしてよ~」ってすがりついてきて

「なんだよ、こちとら忙しいんじゃい!!」

って言いたくなるけど、いざそれがパタッとなくなると

「あれ?なんで?前みたいに相手してよ?」

ってなると思う。

なんだよなんだよ、わがままなヤツだな。親ってのは本当に勝手なヤツだ。こう考えると、親はやっぱり遊んであげてるんじゃなくて、

遊んでもらってるんだよ。

一緒に遊べる期間だってそう長くはない。小学校に入学したら、友達との関わりが増えて、中学校になったら部活も始まるからもう皆無だよね。

だから実質10年くらいかな。
遊んでもらえるのも。

そう考えると心ざわざわしてこない?

ああ、かまってもらえる今が幸せなんだなって。

子どもと遊ぶのも楽じゃない

とかなんとかかっこいいこと言ってるけど、いざ遊ぶとなるとなかなかしんどいw

お人形遊びなんて、もうね

苦行です。

裸の、リ●ちゃん人形をつかまされて、
「これからお風呂よ~いってらっしゃい~」
って言われたらあなたどうします?

ふざけて人形を扱った日にゃあ、
「んもう!!そうじゃないってば!!!」
と、とんでもなく罵られる。

・・・迷える子羊たちよ、よいですか?
リ●ちゃん人形で遊ぶときには、心を「無」にするのです。ふざけよう、自分の考えたように遊ぼうなどと考えてはなりません・・・。心を空っぽにして、言われたことに忠実に従うのです・・・。それが生きる道なのです。アーメン。

とまあ、子どもとの時間が大切にはしたいけど、それなりのリスクはあるよ、って話ね笑

関わりすぎるのもよくない?

さて、まあいろいろ苦行ではあるけど、我が子とのかけがえのない時間大切にしていこう。

・・・といきたいところなのだけど、

関わりすぎるのもよくない?

と思っている自分もいる。

なぜそう思うかというと、暇さえあれば一緒に遊んできた我が子の最近の姿から思うことがあるからだ。

我が子は、遊んでもらえることを当たり前に思っている節があるため、いざ遊べないとなると

「なんで遊んでくれんのん!?」
「(遊んでくれなくて)退屈退屈ーーッ!!」

とイライラしたり、怒ったりするようになっていて、一人でどう過ごしていいのか分からなくなっている感じになっている。

そんな姿を見て思うのは、親としては、一人でも工夫して遊べるようにもなってほしい、ということ。

だから、最近ではつかずはなれずの距離感も大切にしている。(それでも一緒に遊ぶことは大切にする前提で)

まとめ

我が子との時間はわずか。
今は自分の時間が欲しいと思うかもしれないけど、後になって
「もっと一緒に遊んどけばよかった」
と思っても、その時間は戻ってこない。

だからこそ、
我が子と遊べる今を大切にしよう。

ただ、つかずはなれず。

そのバランスを考えるのは難しいけど、そうやって考えたり、悩んだり、我が子とケンカしたりしながら進んでいくこと自体が子どもにとって大切なのかもしれないね。

さっ、今日も楽に生きましょ~。
今日もきっとなんとかなる!😆

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この記事を書いた人

30代2児のフツーの父親です!家族のことや生き方についての思いや考えをつらつら書いています!ちょっと笑えたり、ちょっとホッとできたり、そんな場所になれたらうれしいです。

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